日田の鮎漁
 響鮎
 今日、三隈川で一〇〇匁(375g)のアユが獲れることは希であるが大山川上流に松原・下筌ダム建設前は、一匹八〇〜一〇〇匁が普通で大きいものは一三〇〜一四〇匁あり、世に日田鮎(金口鮎)、天領鮎又大山川上流部のアユを特に響鮎と称し賞賛されていたが、今日の河川状況からは一寸想像もつきませんでしたが、九電の工事のため数年間、河川本来の水量が流れた時期に一〇〇匁近い大鮎が捕れました。

 日田の鮎に関する文献では、九州の六大国学者の一人、森春樹が文政13年(1830)に「亀山鈔」の中に、三隈川のアユが日本一に味がよいと強調している。
また、大正5年発行、山本六三郎著「筑後川の鵜飼い」に、三隈川に産する鮎は、世に日田鮎と称し、其の風味最も賞すべきものありとある。
大正14年には、木下謙二郎著「美味求眞」に、「鮎の産地としては、豊後の日田上流、岡山の旭川上流、土佐の淀川、吉野川上流、安芸の太田川上流等が有名なり」と、紹介している



 友釣り
 縄張りを持ったアユの攻撃性をうまく利用して囮アユを使った誘導作戦で、日本だけの近代的漁法と言われる。
囮アユの尾びれに鈎のない鋭利な針をつけ、鼻に鼻管それに道糸ををつなぎ、アユが自由に泳ぎやすい状態にする。
アユ竿で囮アユを川の中のアユのなわばりに近づける、そうすると縄張りの主人が囮アユに体当たり攻撃を加えて追い払おうとする瞬間、針にひっかかる。
手応えがあったらゆっくり手元に引き寄せてタモ網ですくいあげて捕まえる。
数多く釣ろうと思えば高度の技術を必要とする釣りである。

詳しくは鮎ホームページをご覧ください。


 鮎(アイ)押し
闇夜の夜の漁法で、期間は法的に決められていない限り遡上期から産卵期まで、川瀬で石の間に眠っているアユを素手で捕まえる漁法である。

水深80cm以下の場所で、腰をくのじに折り曲げて、足を踏ん張り、両手を静かに川底におろす、指は力を抜いて柔らかくし、熊手の竹箒のようにやや曲げ、右手を上流、左手を下流にして両手をくっつけるようにしながら、右手を川底にくっつけて、左手はアユの頭がはいりやすいように、やや手首を持ち上げる。
そのまま両手を流れに沿ってゆるやかに、上流から下流へと川底をなでる基本動作を繰り返し、アユが素手に触れた瞬間、右手でアユの退路をふさぎ、頭から石の間に両手で押さえつける。

掴んだアユは、小さいものは片手、大きいものは両手で掴んだまま立ち上がり腰の魚籠に頭から入れる。今は鮎押しをしている姿を見る事は、あまりない。


 鵜飼い
鵜が水中で魚を嘴にくわえたまま水面に浮上し、魚を丸呑むみする習性を利用して、アユを獲らせる漁法である。

鵜の面白い習性を二、三拾ってみると、鵜は必ず一対となり夫婦仲がよく、船上に鵜が並列する順序は、ボスの夫婦から年功序列となる。順番を間違えると村八分に合うそうである。また鵜匠が紐を引っ張るとまずボスが船上に飛び上がり、階級の順に最初に位置していた場所に必ず一対づつ並ぶそうで、人間に一生忠誠を誓う鳥は他に滅多にいないだろう。

 昭和41年3月22日 :は,豊臣秀吉の日田郡令,宮木長次郎が,文録3年(1594)日田入部の時,娯楽慰安の為に岐阜から鵜匠を連れて来て,中城の庄屋某,竹田の庄屋二串和平次,鎌手の庄屋矢羽田三右衛門,上津江の庄屋某の四家に一人ずつ養わせたことに始まると伝えられている。

江戸時代にも歴代の日田代官が鵜飼いを保護し,鵜匠株を有する者の他はこれを禁じ,また,株を他人に売り貸しする場合には代官の許可を必要とした. 日田の鵜匠の特徴は,軽舟に鵜匠と船頭がのりくみ,6羽から8羽の鵜を巧みに操るところにあり,その妙技はすばらし。


 梁(やな)
落ち鮎(産卵期のアユ)シーズンになると降下するアユの習性を利用して施設によって捕まえる漁法

川幅が狭くなった地形の場所か、水か一ヶ所に集中するような落差のある場所を選んで施設を作る。竹や木を使って堰堤を作り、水が一ヶ所に集中して流れるようにする、その水の落ち口は竹材を水の流れにあわせて縦列に並べ、緩やかな勾配で下流側を高くして、水だけを洩れるように組み上げる。

流れに乗って落ちてきたアユが竹の上に残るようにセットする、淡水魚を捕る方法としては年代も古く、大がかりで大量に取れる漁法である
三隈川では昭和28年水害で流失し、復元されなかったが数年前竹田公園前に観光梁として復元した。


 火振り網漁
 夜襲漁法の一つである。深淵または平瀬に、網を流れに沿って縦張りか横張にしして、水中に張りめぐらす漁法。

その後やや間をおいて、船上でかがり火を焚くか光の強い電灯を使って水面上で振り回し、同時に舟竿で水面を叩く等、光と音でアユを攪乱させ、下流から上流へ追い上げていく。一定時間経過した後、網を船上に引きあげて川原に移し、網に掛かった鮎を抜きとる漁法である。

大分県では、観光地として伝統のある三隈川だけ認められている。全国では、四国の四万十川、岐阜の長良川等が有名である


 かし網漁と打ち網漁
かし網漁・・夕方、川に網を張り一夜開けた朝方網を水中から引きあげて、網に掛かった鮎を抜きとる。
打ち網漁・・川底の目づまりのよい浅瀬、平瀬でアユのいそうな場所をめがけて網を打ちかぶせ、網の中に入ったアユを捕まえる漁法