下筌・松原ダム蜂の巣城紛争

下筌・松原ダム(蜂の巣城紛争)

 1953年6月26日、筑後川上流域は集中豪雨にに襲われ、下流の筑後平野一帯で大洪水が発生した。

 大水害の翌年、九州地方建設局は上流部に治水ダムを計画、建設の準備にとりかかった、しかし計画段階の時点で地元住民の了解が得られず、いわゆる蜂の巣城紛争となり解決まで実に13年を要した。

 公共事業(公権)基本的人権(私権)の正面からのぶつかりあいであり、流域を思考する上で貴重な教訓を後世に伝えた。

. 下筌ダム
(津江川)
松原ダム
(大山川)
大山ダム
(赤石川計画中)
猪牟田ダム
(計画中止)
型式 . アーチ式
コンクリートダム
重力式
コンクリートダム
重力式
コンクリートダム
ロックフィルダム
堤高 98 83 99 122
提頂長 248.23 192 385 520
提体積 千m" 282 294 820 8.800
総貯水容量 千m" 59.300 54.600 19.000 38.500
有効貯水容量 千m" 52.300 47.100 18.000 34.000
治水容量 千m" 51.300 54.600 . .
利水容量 千m" 52.300 47.100 . .
最大出力 kw 15.000 13.000 . .
完成年度 . S48.3 S45.1 . .
目的 . 洪水調節
水力発電
洪水調節
水力発電
洪水調整
都市用水
洪水調整,かんがい
都市用水
管理者 . 建設省 建設省 水資源開発公団 建設省

 紛争の発端

 大水害の翌年、’54年8月、九州地方建設局は上流部に治水ダムを計画し、その予備調査を熊本県小国町を中心にして開始した。 
’55年までは大水害の痕跡調査で何もトラブルは生じなかったが、翌’56年1月の三角測量と縦断調査の時、測量に支障となる樹木の伐採をめぐり、地元の中心人物である室原知幸氏らと些細な補償問題が起きた。

 ’57年8月、”納得のいく計画説明”をと要望する地元民に応じて地建は、はじめて住民に対する説明会を開く。 出席した地元民はむしろこれを契機として不安を明確にした。 どの家もこれ以後”建設省及びその関係者面会お断り”の木札を貼り出した。 地元の山主と山子の関係、先祖代々からの人間関係などが複雑に作用していた。
 地建は地元の小国町長、熊本県当局に対して反対派住民の説得を依頼したが引き受けてもらえず、’59年になって土地収用法の適用を考え始める。 話し合いと協議による任意買収の用地取得と違って、土地収容法によると強制取得となる。

 ’59年4月28日同法に基づいて立ち入り調査が実施されたが、地元民は座りこみと妨害で抵抗し調査は中止のやむなきに至った。 地元民の公権力への敵対感情が明確になった。 
 地元住民は下筌ダム予定地点に見張り小屋をたてて、交代で泊まり込み、反対意志を団結して示したのが蜂の巣城紛争である。


 蜂の巣城 
 
筑後川上流の洪水調節、発電用の多目的ダムである下筌・松原ダムの建設にあたっては、とくに下筌ダム地点で室原知幸を中心としたいわゆる「蜂の巣城」の築城、法廷闘争などの反対連動が行なわれ、大いに世間を賑わした。

 ’55年5月に、九地建(九州地方建設局)が下筌ダムサイト予定地点での立木伐採を始めたのに対して、室原氏ら反対派は「暴には暴」と座りこみを行ない作業を阻止している。 さらに’56年3月には室原氏らは、下筌ダムサイト右岸(熊本県側)に長さ50メートル、300メートルの二重に砦、いわゆる「蜂の巣城」を築き、急斜面には有刺鉄線をはりめぐらせて常時反対派がたてこもった。

’56年6月には,九地建の「蜂の巣城」立入りに対して地元民はげしく抵抗し、室原氏は公務執行妨害容疑でたい捕されるような水中乱闘事件がおこった。 その後、九地建では、法的にこの問題を解決するため、蜂の巣城収用裁決申請、蜂の巣城強制撤去の代執行中請を行なったのに対して、室原氏は,「法には法」という立場から、事業認定無効の訴え、収用裁決取消しの訴え、土地収用の執行停止命令の中請などの法廷闘争に入ったが、いずれも室原氏に有利な決定がなされず、これをうけて、徐々に反対派から条件付賛成派にまわる者がふえ、’60年4月には反対派は室原氏ら5人となった。

 このような室原氏の反対運動に対して、’60年3月から社会党、九州各県労評は支援の態度を示し、決起大会の開催、常駐オルグの派遣などで反権力闘争をもり上げた。 しかし’60年6月3日熊本地裁が室原氏の申請した「収用裁決処分執行停止命令」の申請を却下したこと、同月9日に蜂の巣城の強制撒去を閣議で了承したことから、事態は最終段階に入りついに6月23日九地建による代執行が行なわれ、蜂の巣城はとり除かれた。このときに動員された人員は、反対派900人、九地建作業員500人、警官600人といわれている。 下笙ダムの建設にあたって室原氏が中心となった反対運動は、「墳墓の地を失うな」という運動から反権力闘争に発展したわけであるが、蜂の巣城の取除きによって一応の幕切れとなったものの、室原氏はひきつづいて下筌ダム建設について法廷闘争をつづけた。


 蜂の巣城紛争の主役である室原知幸氏

「公共事業は法にかない、理にかない、情にかなうものでなければならない。」といい、ダム建設は洪水調整のための公共事業であるといっているが、実は九州電力という特定企業に奉仕するものではないのか、
地質の悪いこの地域にダムを造ること、玖珠川水系にダムを考えず大山川水系にのみ二つのダムを造るのでは理にかなわないのではないか。
 水没住民の生活再建に対する十分な配慮なしに工事を強行するのは情に反するのではないか、といって、時には「暴には暴」で水中乱闘事件となり、また、行政過程における手続上の少しの違法も見のがさず法廷問争に持ち込んでは、「法には法」と主張したのである。

 しかし、一方においては、「ダム反対」は、これを逆に読めば、「タイハン(大半)はムダ(無駄)ですよ」、といえる程一つの諦観を持っていたわけで、激しい反対闘争の週程においても、ダム完成を予見して、完成後の地域の在り方及びその対策についての構想をいろいろとめぐらせて、建設省に対して要求を提示し、それを実現していっている。

例えば、将来、隣接する杖立温泉を結んでダム周辺の観光立地を考え、ダムの周遊道路の建設、川の両岸を結ぶ立派な橋の建設を要求し、それが周囲の緑と水に調和するように橋の色にも注文をつけている。また、自分の所有する杉林を切り開いて、地はだの見える道路を造ることに反対し、工費はかかっても対岸から見たとき、緑の杉木立が美しく水に映えるようトンネルにせよ、といった要求も実現している。有名な天鶴隧道がそれである、その入口に掲げた銘は、室原自身の筆になっている。
このように、彼は事業目的そのものが公共の利益を達成するばかりでなく、それに関連する周辺住民の福祉があわせて考えられなければならないという固い信念を持っていたのである。

室原知幸の名は「肥後モッコス」といわれる肥後人気質の代表的人物として「蜂の巣城」の名とともに長く記憶されることであろう。



 年・月・日 下筌・松原ダム建設史(闘争の経過)
53.06.26 筑後川大洪水、堤防126か所決壊147人死亡(昭和28年)
55.09.10 九州地方建設局、10日間にわたり現地調査
57.02. 筑後川治水計画決定
58.12. 8 室原知幸、大山村県道わきに「ダム反対」の看板建てる
59. 5.13 九地建ダムサイトの調査開始
  . 5.20 室原氏ら第一蜂の巣城を築城
60. 1.16 建設省、水没地区を告示
  . 4.19 下筌ダムサイト(第一蜂の巣城)の事業認定告示
  . 5.28 室原氏、東京地裁に「事業認走無効確認」の訴訟をおこす(S38.8.28国の勝訴)
  . 6.20 九地建の立入り測量をめぐって水中乱闘事件、11人負傷
  . 6.24 九地建作業再開
  . 7. 2 安保共闘会議の熊本県民集会で反対闘争支援決定
  . 7. 5 熊本県警、第一蜂の巣城を捜索、室原氏を50時間後に公務執行妨害容疑などで逮捕36
61. 4.27 九地建、ダムサイトの収用を熊本県収用委に裁決申請
64. 1. 5 熊本県小国町議会、ダム建設に条件付賛成を決議
    3. 1 熊本県収用委、ダムサイトの収用を裁決
    6.23 第一蜂の巣城に代執行、落城(一部は残り第三城となる)
    9. 室原氏ら新たに第二蜂の巣城を建設
65. 5. 8 下筌ダム工事入札、東京西松建設が14億7,480万円で落札
    5.14 第二蜂の巣城に河川法違反の除去命令出る
    5.31 九地建、工事用道路などの土地の収用を熊本県収用委に裁決申請
    6. 4 室原氏ら除去命令取消し訴訟を熊本地裁におこす
    6.11 第二蜂の巣城に代執行
    9. 4 九地建が「建物など物件撤去と立入禁止」の仮処分を熊本地裁に申請
   10.30 仮処分決定、ただちに九地建が第三城を撤去
66. 1.29 熊本県収用委、第二城の跡など72.9アールの強制収用を認める
    2.17 室原氏ら「強制収用は違法」と執行停止と証拠保全を熊本地裁に訴える(3月却下)
    2.27 第二城を含む72.9アール国有地となる
    2. 第四蜂の巣城できる
    3. 3 九地建、国有地の代執行を請求
    3.27 熊本県、第二城撤去について室原氏らに戒告書渡す
    3.29 室原氏の水源利用権を認めたうえで第三城の小屋を撤去
67. 1.28 右岸台地(旧蜂の巣城跡台地)に本体工事のコンクリ一ト打込み開始
    3.20 下筌ダム定礎式
   10.11 松原ダム定礎式
   11.22 下筌・松原発電所起工式(九電)
68. 3.19 新池ノ山橋着工
69. 3. 1 下筌ダム貯水開始
    4.10 下筌発電所運転開始
70. 6.29 室原氏心筋梗塞症で死去(7月2日葬儀)
   10. 6 親族会議で和解受諾をきめる
   10.末 和解調印
   12.11 松原ダム貯水開始



  参考文献
  下筌ダム (蜂之巣城騒動日記)
     室原知幸/著 
  公共事業と基本的人権 (蜂の巣城紛争を中心として)
     下筌・松原ダム問題研究会/編
  筑後川水環境マップ ’96
     日田市民セミナー「紫明庵」/編.発行
  日田市三十年史